生活

犬が亡くなって、新しい犬に会ったこと。

犬が亡くなって、新しい犬に会ったこと。

犬が亡くなって、もう1年半経ってしまった。

犬が亡くなってしまってから、はじめて新しい犬に会ったことを書いてみる。

目次

1.実家に帰る前に思ったこと

2.新しい犬に会ってみてどうだったか

3.でも、上書きされることはなかった

4.全く違う部分を面白がっていきたい

実家に帰る前に思ったこと

私は実家から離れて暮らしている。

犬が亡くなってから帰ろうと思ったことはあるけれど、「もしかしたら犬が迎えてくれるのではないか」と思い何度もためらってしまった。

私が実家に帰ることができなかったのは、もういないという事実を受け入れることができなかったからだと思う。

迎えてくれることはない。

煙になってしまったのをこの目で見た。

 

実家には新しい犬がいる。

新しい犬を迎えて皆が笑えるのなら良いことだと思う。

きっと、かわいい。

 

でも、実家に帰って大丈夫なのだろうかという思いはある。

未だに最後に遠くを見つめて止まってしまった犬のことを思い出す。

やわらかい毛の感触をおもいだす。

新しい犬に触ると、その感触が塗り替えられていってしまうようで怖い。

ずっと続くものなんてないとわかっているのに、止まったままだ。

ただ、無理やり悲しくなんてないと思い込んでもどうしようもないとわかっている。

悲しい気持ちをおいてけぼりにして、蓋を閉めてしまっても後から溢れ出してしまう。

未だにパソコンのデスクトップも携帯の待ち受けも犬の写真だ。

―――ここまで、実家に帰る前に書いた。

新しい犬に会ってみてどうだったか

いざ会ってみると、可愛らしかった。

というよりも、「あそんで!」という全身からでるオーラに圧倒されてしまった。

私がぼーっとしていても、ずっと周りをちょろちょろ動いている。軽く3時間はそんな感じ。

しがみついてきたり、飛び乗ってきたり、落ち着きがない。元気すぎる。

そんな姿を見ていると可愛がらざるを得ないというか。

でも、上書きされることはなかった

いないんだな、ということはわかりすぎるくらいわかってしまった。

触り心地も声も違う。

実家の至る所に亡くなった犬の写真が貼ってある。

変わっていくことは苦しいし、未だにしがみついたまま。

今は悲しくても身体は動くけれど、勝手に動いているだけのときもある。

外側だけが勝手に動いて、中身が止まっているような、そんな感じ。

形だけはちゃんとしないといけないという部分が身体を動かしている。

今は、動かそうとしている部分と受け入れたくない部分もいて、それらをただ見ている自分もいる。

割と中身は冷静な気がするのだけれど、身体の一部が気体になっていく。

全く違う部分を面白がっていきたい

気を抜いたら2人をいつも比べる発言をしてしまう。

比べるのは良くないとわかっているのに。

もし言葉がわかっていたら、2人はどう思うだろうか。

同じじゃないから、替わりにはならないけれど、そもそも、替わりだと思うことが2人に対して失礼なことだ。

全く違う部分を面白がっていければいいなと思う。

家にいると未だに落ち込んでしまうこともあるけれど、実家に帰り新しい犬と会うときは全力で遊びたい。

2人共に、別の時間を大切にしたい。

と、色んなことを言い聞かせてみる。

どうしようもない抱えておきたい部分は、抱えておこうと思う。