私は、尋常性白斑(じんじょうせいはくはん)という病気だ。
ざっくり言うと、メラニン色素が減り、皮膚の色が白く抜けていってしまう病気のこと。
それなりに付き合いのある病気なのだけれど、じっくり考えてみると、作ることが大きくかかわっているなと思ったので書いてみることにした。
目次
3.「おもしろい形」
6.おわりに
はじめて尋常性白斑になったとき
尋常性白斑になったのは、小学校に入る前だったか、入ってからか…正直よく覚えていない。
ただ、尋常性白斑を治すためにおいしくないものを食べさせられたことだけは覚えている。
青汁を飲まされたり、漢方を飲まされたり…。
青汁も今のように飲みやすいものではなく、ドロドロのもの。
栄養はあるかもしれないけれど、泣いたことしか覚えていない。
漢方も今なら飲めると思うけれど、徐々にフェードアウトした。
尋常性白斑がはじまったのが幼く、あんまりよくわかっていなかったし、「私はこういうものだ」となんとなく思っていたんじゃないだろうか。痛みもなかったのも大きい。
「まずいものを食べたくない!」っていう目先の嫌なことから逃げたかっただけかもしれないけれど。笑
尋常性白斑になってから
小学校のころ
「これ何?」「なんで白いの?」って聞かれても「白く抜ける病気~」と言うしかなかった。
自分でもなぜ白くなるかわからないし、答えがなかった。
何か言われそうなものだけれど、この件で今までからかわれた覚えがない。
外の体育とかは普通に受けていたのだけれど、水泳の授業は見学していた。
あんまり泳げなかったので、逆にラッキーと思っていた。笑
中学校・高校・大学のころ
だんだんと尋常性白斑が広がってきた。
もとの色に戻ることもある。
動きが読めない。
いきなりすごい勢いで広がっていく訳ではなかったので、広がったら「広がったな」戻ったら「戻ったな」と。
幼いころに「そういうものだ」と思ったことで、割と前向きな諦めがあったんじゃないかと思う。
と言っても、全く悩まなかったと言えば嘘になってしまう。
ふとしたときに普通の肌ではないよなあと思ったし、それなりに悩んだ。
でも、悩む時間がずっと続くわけではない。
楽しいことがあればそちらに夢中になるし、尋常性白斑が広がることより辛いこともいくらでもあった。
たまたまだけれど、良かったのはしたいことがあったこと。
何かしらいつも描いたり作ってはいたので、そちらの方が考えている時間が多かったってことが良かったんじゃないだろうか。
「おもしろい形」
大学のときに友人と遊んでいて眠ってしまっていた。
起きたら、足の尋常性白斑のところに絵が描いてあり、
「おもしろい形だったから描いてみた」と言われた。
…誰が描いたか忘れてしまったのだけれど、この出来事自体は衝撃的だった。
今まで、自分の中で尋常性白斑は色の変化だったのだけれど、描いた人にとっては形だった。
今までこの色を形だと言った人はいなかった。
何かガツンと壊されたような気がした。良い意味で。
こういう見方もあるんだなあと。
人の視点を知ることで、1つのものの見方にこだわっていたんだと考えさせられた。
やっぱり自分の中では気にしていたのだろうし、色のことばかり考えていたんだなと思った。
広がり続けていった結果
働きだしてから、尋常性白斑が勢いを増した。
元々、体中にあったのだけれど、今までにないスピードで広がっていった。
広がっている最中は正直精神的にキツいときもあったけれど、それを越えると元の肌の色の方が少なくなっていた。
結果的に、ほぼ白く抜けたと言う感じになった。色の変化は今はほぼ止まっている。
今は尋常性白斑の方が圧倒的に多く、元の肌の色が逆にシミみたいに見えるようになった。
あとは、髪の毛や眉毛、産毛も白っぽいところがある。
まだ変化する可能性もあるけれど、先のことはわからない。
何の意味があったのか?
なぜ年月をかけて色が変わっていったのだろうか。
病気だと言えばそこで終わってしまうけれど、それで終わらせたくはない。
今は尋常性白斑の色の方が強い。
まだらじゃなくなったから良かったという気持ちもあるけれど、もとの色をかっさらわれていってしまったような、さみしさもある。
今結果として出ている色だけを切り取ってしまうと、表面的には病気には見えないから、良かったねだけで終わってしまう。
今までの色の変化は一体なんだったんだろう。
色が変わっていくなかで、「そういうものだ」「なぜ自分はこんな色なんだ」と思っていたのも事実。
元の肌の色は確実にあったし、なかったことにはできない。あった。
はじまりも過程も結果もひっくるめて全部が必要な色だったんじゃないか。
この色の変化は、「おまえは色を見よ」という教えだったのであれば、納得できる。
実際に色ばかりになっている。
以前の作品を見ると、自分の問題も含んでいるような気がした。
色を埋めまくっていたのも、かっさらわれてしまった自分を埋めるためだったのかもしれない。
作品:その色をなかったことにできない
「どんな色でもそれでいい」というのも曖昧な色の自分を肯定したかったのかもしれない。
作品:通り過ぎる季節、とどまる色
もともとの作るときに意味は考えていたのだけれど、掘り下げてみると自分の問題も絡んでいたのだなあと思った。
いつも無意識で作っているつもりではないのだけれど、最中は夢中になっているからわからなかった。
作るにあたっての想いも大切だけれど、考えていないつもりの無意識の部分を解いていくことで、奥にしまっていたものが見えるのかもしれない。
おわりに
すぐに答えが出るものでもないし、過程も振り返ってみないとわからなかった。
病気であることだけを考えていたら、病気だと気にするだけで終わっていたと思う。
掘り下げてみて、自分の問題が少しわかったし、わかったのなら考え続けなければ、心から会いたい景色は見られないだろうなと思った。
そんな感じで終わります。