考える

ネットをつなげすぎないこと

ネットをつなげすぎないこと

数年前、スマホからガラケーにした。

持たないとやっていけないのか?という実験的な意味でやめてみることにした。

ガラケーは電話とメッセージしかできないけれど、意外といけるなあと思った。

でも、変えてから、スマホがWi-Fiで使えることを知り、結局今は家でタブレット的な感じで使っている。

 

先日、朝から数時間調子にのってスマホを見すぎてしまった。一日中頭痛が収まらない…。

駄目だなーと思ったので、自分に思い知らせるために書いてみる。

目次

1.つながりすぎて飲み込まれてしまう恐怖

2.データそのものになって、ぬけがらになってしまうことへの恐怖

3.ネットをつなげすぎず、身体から受け取る

つながりすぎて飲み込まれてしまう恐怖

一度やめたのは、なんとなく、持たなくてもいけるんじゃないかっていう実験的な意味だった。

 

スマホを持つ前は、ネットを見るのは携帯よりもパソコンの方が多かった。

パソコンは毎回電源を切り、四六時中つながっているという感じではなかった。

 

でも、今はつながっていることが当たり前になっているように思う。

自分が関係なくても見ているだけで消耗するので、あんまり情報を受け取りすぎるのもよくないなと。

現実でも、怒っている人や悲しそうな気持ちはなんとなく入ってくる。

特に、落ち込んでいる気持ちを受け取りやすいなあと思う。

勝手に受け取ってしまい、具体的に何かできる訳でもなく、勝手に消耗してしまう。

まだ現実は身体という壁があるからわかるけれど、ネットには壁がない。するすると入り込んでくるような気がする。

調子が悪いと、どこまでが他人でどこまでが自分なのかわからなくなってしまうことがある。

 

今思えば、スマホをやめようとしたのは、つながりすぎて飲み込まれてしまうのが怖かったんじゃないかって思う。

 

ほんと、逆行していっているよなあと思うのだけれど、つぶれたら何もできなくなってしまうし。

 

データそのものになって、ぬけがらになってしまうことへの恐怖

ネットはどうだこうだと言いながら、こうやってブログに書いている。

これもネット上。

だから、これでいいのかなーとも思うのだけれど、書いてみる。

 

ブログは自分の頭の中に置ききれないから、置かせてもらっているっていう感じ、なのだけど…自分が情報になっていってしまって、ただのデータになりはしないかという怖さがある。

 

これは、影響力がある人の言葉だけが勝手に走っていってしまうっていうような意味とはちょっと違うような気がする。

 

自分の精神みたいなものと身体が分離してしまわないかっていう意味で。

 

記録しきれないからブログに置く。楽だ。

書き続けていても、ラベルを貼って整理しておく、検索して見ることができる。

 

でも、置いているものは、電気や電波がなければ見ることもいできないし、取り出すこともできない。

データはそもそもどこにあるかっていう明確な場所もわからない。

何かが起こって、自分の書いたもの データそのものがなくなってしまったら、残った自分の身体はぬけがらになるのだろうか?

そう思うと、あまりに頼りすぎるというか、置いておくのもちょっと不安な気持ちになる。

便利だなと思う反面、あんまり依存しすぎているとなくなったときの落差がありそうな気がする。

たいしたものは持っていないけれど、分離したり、なくなってしまうのはやっぱり怖い。

 

だから、何度も書いたり消したりして、身体にも覚え込まそうとしているのかもしれない。

何度も繰り返したことは身体に残りそうな気がするから。

 

ネットをつなげすぎず、身体から受け取る

ネットをつなげすぎず、身体から受け取る。

…と言っても、特別に何かやっている訳ではなくて、その辺の道を散歩しているだけなのだけど。

近場で満足してしまうというか…違いすぎると刺激がありすぎるので、だいたい同じ道の方がいい。

ちゃんと身体が機能しているなと安心する。

春の花が咲きだしたなとか、そういうことを感じられると「あ、大丈夫だな」って思う。